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2005年12月15日 (木)

意味付けと傲慢

研究柄、日常的にマウスを殺している私です。

もともと動物が好きで、動物の研究をしようと思ったので、やはり、いささか、マウスちゃんを殺すのには抵抗があります。

殺すときに思うこと・・・・

実験のためじゃぁ。科学のためじゃぁ。

と思って殺しています。

せっかく殺したんだから、いい結果を出そう!

なんてことも思います。

けれど、増えすぎてサンプルにもならずに殺さなきゃならないマウスちゃんもいるんですよ。コレがまた切ない。

かわいそうだから、練習実験用に、血でも採るか!

とか、思います。

が、これって傲慢!なんじゃないかなぁ、と最近思うのです。

だって、マウスの人生に勝手に意味付けしているのですよ。ちゃっかり。

こう考えると、優しさとか哀れみというよりむしろ、

傲慢!

神様にでもなったつもり????

マウスにとっちゃ、科学に貢献できようとできまいと死ぬのには変わりはなく、ただ、そういう意味づけを勝手にすることで、安心や自己満足を感じているだけなんじゃないかなぁ。

マウスはマウスなり生きているわけだし、

殺すに加えて、一生に意味づけされる

なんて、災難以外何者でもないじゃん。と思うのです。

そう考えると、多くの人間が傲慢やってます。

多くの親が、子供に傲慢を教育しています。

せっかく殺されて食べ物になってくれたんだから、残さずちゃんと食べなさい!

これも勝手な意味づけな気がします。

好きで料理になったわけないんだし、殺されたら、残されるのも、食べられるのも変わんないでしょ、実際。

僕は、殺されても、食べてほしくはないよなぁ。

一流シェフに料理される食材は、下町のおばちゃんに料理される食材よりも幸せだとか思っていませんか?

そんなあなたは、傲慢です!

でも、人間なんて、もとより、みんな、傲慢なんだ、と当たり前のことを思いつつ、

そんな人間は、自分の人生の意味づけにも躍起になるのかなぁー

ならざるえないのは、分かる。なんか不安だもの......

以上、明日への活力を与える劇団unit-IF代表の心の一部ぅでしたぁ

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