ハムスターの寿命と人間の勝手な感情
僕の研究室の動物飼育室には、
マウスのほかに、ハムスターがいる。
誰も実験に使っていないのだが、
(2年前は使っていたけど、その人は卒業)
年に1回の学生実習のために、
飼育してある。
まぁ、精子がとれればいいので、
少し年をとっても許容範囲。
そうして、ただ飼育しているだけの
ハムスター1匹が
今日死んでいるが発見されました。
かなりの確率で、
寿命による死亡
です。
実験動物の寿命による死亡を
初めて経験しました。
マウスは増えすぎたら、飼育が面倒なので、
殺すか、ほかの研究室にあげます。
なので、実験で(僕に)殺されて死ぬ以外では、
病気か、ほかの動物に攻撃されるかの、
どちらかが死因になります。
そのハムスター。
前々から弱っていたんですが、
昨日あたり死にそうだったので、
今日安楽死させてあげようと思っていったら、
僕が手を下す前に死んでいました。
前に、
実験動物の殺すのに、実験のためだから、と思って殺すのは、
マウスに、生きる意味を押し付けて、かつ、殺すことであって
人間の傲慢だ
と書きました。
だから、何も思わないようにしていましたが、
その老衰で死んだハムちゃんをみていたら
なんだか、悲しい気分になってしました。
別に、愛着があったわけでもないのに、
泣きたい気分になったのです。
それは、いいことじゃないか!
と、思う人がいるかもしれません。
ただ、僕は、そう思う10分前まで、
実験のため、
何の心も痛めずに、
ジョークを言い、歌を歌いながら、
十数匹のマウスを殺し、
解剖で、無残な姿にして、
つかれたぁー
と言っていたのです。
マウス達には何も思わなかったのに、
老衰で死んだというだけで、
ハムスターの死に泣きたくなる。
なんなんだろうなぁ、この感情。
きっと、これは、勝手な感情。
傲慢な心のかけらなんだろうなぁ。
と思いつつ、
無残なマウスも、老衰のハムちゃんも、
同じ冷凍庫に安置しました。
五月晴れなのに、暗い話題。
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コメント
はじめまして。
人(私)はどこから来て
何のために生きて
どこへ向かっているのだろう・・・?。
この世界の終末はどうなるのか?
私は、若い頃から人生についていろいろ考え、
人間はどこから来て、何のために生きて
どこに向かって生きているのかを問い続けて来ました。
神の存在、人生の意味は何か、いのちと死の問題」など
について、初心者にも分かりやすくブログでキリストの福
音を書き綴っています。
どうか、時間のあるとき、ご訪問ください。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
投稿: 浩太郎 | 2006年5月25日 (木) 22時40分
死んだのが人のときに悲しくなるのも、
これと同じ傲慢さかもしれないと、
ときどき思う。
投稿: かくもと | 2006年5月25日 (木) 23時35分
わかるなぁ。
私はマウスの寿命による死に立ち会った経験かなりあります。
かなり無残です。
親が子供の体を食べつくすのですから。
ちなみに私は餌を入れ忘れて、共食いさせた経験があります。
あぁ・・・ごめんなさい。
投稿: もこ | 2006年5月26日 (金) 16時14分