マナーは、眞鍋に学べない。
どうも、久々の更新です。
最近は、忙しかったり、疲れていたりで、
なかなか更新できませんでした。
今日は、通夜に行ってきました。
会社のえらい人のご家族に不幸がありまして、
新小岩まで行って来たのです。
新小岩
僕は、葛西で生まれた後、
すぐに、新小岩に引っ越したらしいです。
その後、江東区の南砂付近に引っ越しました。
そして、中2から世田谷に行って、今に至るのです。
僕の記憶があるのは、江東区から。
新小岩時代の記憶はない。
初めて、新小岩をまともに見ました。
なんか、いい感じにさびれた東京の街
って感じです。
そんなことを思いながら、通夜にむかいます。
参列者の多さに圧倒されました。
道路まで、大行列ができていて、
かなりびっくりしました。
会社のおえらい様なので、
会社の人も多く参列していたのですが、
それだけなく、学生さんも多い。
故人は先生だったのかな?
と思いつつ、
それ以外の方も多い。
多さに、ちょいとびっくりしました。
帰りの電車の中で、同期とマナーについて話合う。
「おきよめ」のお食事に、僕らは手をつけるべきでなかった
とか
お香典の値段の是非
だとか・・・・
皆、マナーについて詳しくは知らず、
上司に追随する感じが多かったけど、
知らずうちにマナー違反があったような、なかったような。
そんな話をしていたのです。
僕は、マナーってものに縛られるのは、
なんか形式的な感じがしてしまって、
そんなに、好きではありません。
ただ、最低限のマナーは、
お互いの気分を害さないためのもの。
まだ、喜びの会でのマナー違反なら、
笑い事で済むかもしれませんが、
悲しみの会での場合は、
気分を害する行為は避けたい所。
少なくとも、こういう場合のマナーは、
きちんとお勉強しなきゃいけないなぁー
とつくづく感じました。
サイエンスゼロでも、ここだけの話でも、
そこんとこは学べません。
それに、さらに、やっかいな問題があって
僕の場合、宗教的な制限で、
焼香の際に、手を合わしません。
一応、キリスト教徒なので、
他の神を拝む行為は避けなきゃなのです。
そんなに、真面目な信者ではありませんが、
「手を合わす」という行為に抵抗を感じます。
(これもまた形式的な感じしますが・・・)
なので、焼香をつまんだ後は、
黙祷をささげて、礼をするという形をとっています。
焼香をつまむ行為はどうなんだ?
って思いますが、
あれが宗教的にどんな意味があるのか
分かっていないので、なんともいえません。
どなたか、教えてください。
自分の宗教の問題なので仕方のないことなんですが、
ご遺族の方が、不快に思われたら嫌だなー
と思うわけです。
そういうために、ちゃんとマナーってものがあるんだな
って再認識してますが、
知らなきゃ意味ないわけで・・・・・
自分で考えてやるより、
ちゃんと学びます。
今回も、太字、色なしで。
そんなこんなで、最近は、忙しいですが、
公演も近いので、ちゃんとマメに更新したいと思います。
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コメント
その気持ち、わかります!初詣とか友達に誘われても見てるだけ、みたいな。あたしは、宗教的な理由の他に、歴史的な理由もあるので複雑さもひとしおです。カオス。
相手との関係を円満に保つのに、マナーは大切ですよね。。。
投稿: はんな | 2007年8月 7日 (火) 22時45分