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2009年11月25日 (水)

「手紙」東野圭吾

東野圭吾ブームが去った僕ですが、

兄に借りたので読みました。

「手紙」

この本を兄に借りるとは・・・・・

なんか複雑ですね。

 

読んでて非常に暗くなりました。

主人公になにかいいことあっても、

犯罪者の弟ってことで失敗するのは目に見えているわけで、

はしゃいでる描写を見るだけでなんだか暗い気持ちになります。

 

個人的には、

犯罪者の家族に何の責任はないと思っています。

それが自己責任を柱とした自由主義だと思うからです。

被害者を対して気の毒に思い、

加害者に対して怒りは覚えますが、

加害者の家族に何の責任があるのだろうかと思うのです。

その加害者が自分の責任において、行動した結果であり、

成人していたら、その行動の責任を負うのは、

家族でなく、本人でなければならない。

 

ずっとそう思ってきました。

でも、世の中では、少なくとも日本では、

それが通用しないのだろう。

そういう不条理があるのは分かっている。

でも、自己選択の自己責任の追及。

それはとても苦しいことだけど、

そういう社会になることを望んでいるし、

自分でできる限りそういう風に生きたいとは思っている。

 

ある程度恵まれた環境にいたから、

こういうことがいえるのかもしれないけれど。

 

そんなことを思った本でした。

犯罪者の家族への差別。その現実を描きつつ、

作者なりの見解を見せているには、恐れ入りました。

そういうのなしで終わると思っていたので。

家族がその責任を負うべきではないと今でも思ってますが、

それを負わざるえなかった人がいるのも現実で、

犯罪・更生というものを考えるいいきっかけになりました。

 

なんだかうまく言葉にまとまらないので、ここまでで。

 

自分が同じ境遇に置かれたら、兄を憎んでいるんだろうか?

どうだろうかな?

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